表現の不自由展・その後|感想

表現の不自由展・その後』抽選に当たり、観覧することができました。運が良かった。使い切ってないと良いが…(苦笑)

https://censorship.social/
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写真・動画撮影はオーケーだったもののSNSへの投稿は一切禁止でした。多分SNSじゃなきゃ良いのかもですが…今回は当ブログでの投稿も控えさせて頂きます。

先ずは『表現の不自由展・その後』の主旨(特設HPのごあいさつより引用)

いま、日本社会で「あること」が進んでいます。自由に表現や言論を発信できなくなっているのです。その領域はさまざまです。新聞や雑誌などの各メディア、美術館や画廊、各種公共施設、日常生活、路上の活動など。その内容もさまざまです。報道や娯楽番組、天皇と戦争、植民地支配、日本軍「慰安婦」、靖国神社、国家批判、憲法9条、原発、性表現、残酷表現など。その不自由のあり方もさまざまです。検閲、規制、忖度、弾圧、クレーム、NGなど。

私たち実行委員会はこの事態を憂い、美術とその関連領域に絞って、2015年に東京のギャラリー古藤で「自由を脅かされた表現」を集めた「表現の不自由展」を開きました。

あれから5年が経ちましたが、この「不自由」はさらに強く、広範囲に侵蝕しています。ここで私たちは改めて「自由を脅かされた表現」を集める「表現の不自由展・その後」を開きます。今回はほぼ美術表現に絞っての選定です。

で、観た感想ですが…天皇と戦争・慰安婦問題・靖国・憲法9条、しか印象に残っていません。現代美術作品であることは理解できるし、一作品づつ観ればすべて素晴らしい作品だったと思います。

でもね、あまりにその作品たちの占める比重が大きすぎて、とても暴力的に感じたし、なんかねデモを見させられているような感覚。美術作品を観に来たって気持ちには、到底なれなかったです、少なくとも私は。

まあ、あれは炎上しますわ。っていうか確信犯?展示のまとめタイトルが悪かったんじゃないかな…って、エラソーにすみません。だって全然ピンとこなかったんだもん。

私はリベラルでもミギでもないです、在日朝鮮・韓国人ですが、慰安婦問題もぶっちゃけピンと来ない。植民地もわかるけどわからない。もちろん日本で産まれて日本で死ぬんだから、日本国籍のほうが何かと便利なのは重々承知で、かと言って外国籍であることでの耐えられない程の不自由は感じたことが無いのです。(あくまでも私の生活環境ではという話で、全ての在日外国人がそう感じてるワケではないので、曲解なさらぬようお願い致します)

その“表現の不自由”という枠組みにカテゴライズされて、無理矢理ハメられてるような嫌な気分にはなりましたけど、ハイ。だから、一作品づつ鑑賞できたならこんな気持ちにはならなかったとも、言える。

ただ誤解の無いように最後に一言付け加えさせてもらえるなら、各作品は全て素晴らしかったです。作家の意図や、作品へ込めた想い・妥協しない強い気持ち・真摯な姿勢は、しっかりと伝わってきました。

とは言え…ちょっとナイーブになってしまった気持ちを引きづりつつ、そのまま長者町「ART FARMing」(アートファーミング)へ。有村と落ち合い、中華料理を食べつつ白熱トークを交わし、時々お世話になっているBAR × PIANO onetoneへ。

オーナーとパートナーの全く興味のなさそうな相槌(笑)に癒され、先ほどの熱を冷ますように、馬鹿話を繰り広げ美味しいお酒をいただき帰宅。なんだか、硬軟織り交ぜ過ぎな一日でした。